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#me too 声を上げることが必要なのは誰?

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#me too の大きな流れ ハリウッドのセクシャルハラスメント告発に始まった#me tooは日本にもうねりを起こしている。 12/18(月)yahooニュース セクハラ天国ニッポンで、#MeToo の号砲が鳴る 私は#me too に書いてくれた人に、次のように伝えたい。 「伝えてくれてありがとうございます。 私にも被害経験があり、性暴力に対する日本社会の理不尽で 不正義な状況を変えたいと行動してきました。 共に変化を起こしていきたいです。」 告発するか否かの選択 そして、#me tooの流れを受けて、自分の経験も話すべきなのか悩んでいる人にも伝えたい。 もし、あなたが悩んでいるのなら然るべき理由があると思う。 それは、自分も伝える必要があるのではと言うプレッシャーかもしれない。 加害者に仕返しされる恐れかもしれない。 批判や非難にさらされ、傷けられるのでではないかという恐怖かもしれない。 そのような場合、次のことを自分に問いかけて欲しい。 1、安全で安心な環境は確保されているだろうか? 2、私のトラウマは癒されているだろうか。 3、私のレジリエンスは保たれているだろうか。 1、安全で安心な環境は確保されているだろうか?    発言することで、危険に晒されるようならその環境は安全ではない。  危険度の第一義的な目安は、回復可能か不可能かだ。  また、自分のレジリエンスにも関わってくる。 2、私のトラウマは癒されているだろうか。   トラウマが完璧に癒されると言うことは誰にとっても難しい。  しかし、確認してみることは大切だ。  自分の判断では難しい場合、セラピストや信頼できる知人に聞いてみることも有効だ思う。 3、私のレジリエンスは保たれているだろうか。   発言することで受けたダメージを、癒しの手法、時間、環境によって回復させることができるのなら、レジリエンスは保たれていると考えられる。  レジリエンスは、ボールのリバウンドに例えられることがある。  凹んでも膨らむのなら、自信が持て、耐久性がつくかもしれない。  しかし、ずっと凹んだままなら、それまで

2018年3月までは、平日講演をお受けできます。

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                12月2日は大分県被害者支援センター主催 で講演。 「性暴力と生きることのリアル〜回復と必要な支援〜」について 190人の方にお話ししてきました。 翌日は少し足を伸ばして、湯布院へ。 晴天に恵まれ、湯布院の穏やかな自然と心安らぐ田園風景を堪能しました。 2010年から人前でお話しするようになり おかげさまで講演依頼も増えてきました。 サバイバーとして被害のリアルと心情 必要な支援についてお伝えする機会をいただけることを 大変嬉しく思っています。 おかげさまで 今年度 (2018年3月までの) 土日講演の枠 は全て 埋まりました。土日講演をご希望の場合は2018年4月以降に お申し込みください。 2018年3月までは平日講演をお引き受けできます ので どうぞよろしくお願いいたします。                     由布岳五合目付近にて

法律を変えるって難しい

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法律を変えるって難しい 何を今さら当たり前のことを。っていわれるかもしれませんが、 法律を変えるのって超難しいと実感する日々。 あんまり意識していなかったけれど、私も6月16日の刑法改正の達成感を引きずっていたんですね。 3年後に見直しを検討しましょう という附則は、あくまで見直しの検討 であって 必ず見直されるわけではない。 どちらかといえば、 今回改正したのだからしばらく改正する必要はない とか 今回の改正だって、変えすぎなんだ とか 思われていた入りする可能性だってある。 ましてや 刑法性犯罪改正に至るまで 様々な団体や個人が 「この改正では、性暴力の実態にあっていない」 「被害を受けた人たちや子どもはこの状況では救われない」 と要望書などで訴えたことを知りながら 今回の改正は、ここまで と切ったわけです。 この状況を動かしていくって 並大抵のことではないんだなと 改めて実感します。 それでも、希望を感じられるのは Springに新しいスタッフたちが入ってくれて 新しいエネルギーをくれたり こんな状況なんですと伝えた時に 聞いた市民たちが、それはどう考えてもおかしいと 共感してくれるから。 ・睡眠薬などの薬物を飲まされてレイプされても、警察の初動体制で薬物検査が標準でないため、証拠が得られず捜査や立件が難しいと言われてしまう。 ・同意のない性行為の結果、心も身体も傷ついているのに、相手が知り合いだと刑事では難しいから民事でどうですか、と警察官から言われてしまう。(刑事事件にならなければ民事も難しいのが現実です) ・鬱やアルコール依存の発症率は相手が知らない人であってもパートナーであってもほぼ変わらないのに、加害者がパートナーだとほぼ立件されない。 これっておかしくないですか? この感覚を共有して前進したいと思います。 雨上がりには虹がかかる(at Ikebukuro)